2011年7月1日

【パース】ワーホリ体験記★其の三

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ワーキングホリデーは出会う人も、出来事もどれ一つとして同じ人はいません。自分だけのワーホリがそこにあります。
1年・2年という決して短くない間、皆がどんな時間を過ごしているのか・・・気になりますね!そこで今回はパース留学センターをご利用の高樹さんのワーホリ体験をお送りします!

ワーホリを決意するまでのいきさつ


昔から海外で生活することにあこがれていて、大学時代に初めて海外に行く機会がありました。アイルランドで三週間の英語研修、シドニーで半年間のフィールドワークを経験しました。それ以外にも旅行でオーストラリアのケアンズ、ウルル、メルボルン、タスマニアなどに行ったり、イタリア、イギリス、台湾、フィリピンも旅行しました。
大学時代にアイルランドやシドニーで過ごした時間はとても充実していて、また海外に行きたいと考えていました。大学卒業後にすぐにでも海外へ旅立ちたかったのですが、お金を貯めるために社会人になりました。社会人になるとなかなかタイミングを見つけるのが難しく、海外に行くことをあきらめかけていましたが、友人たちに『行かないと後悔するよ』と言葉をかけてもらい、社会人三年目の終わりごろに、ワーキングホリデーでオーストラリアに来ることにしました。オーストラリアを選んだ理由は、今までに来たことがあり、とても気に入っていたからです。オーストラリアの東側は行ったことがあったけど、西側は行ったことがなかったのでパースに決めました。パースに行ったことがある人から、パースは好評だったので、行ってみたかったのです。

ワーホリするまでに使った時間や調べた事

ワーキングホリデーに行きたいなぁと思ったときから、約三年間、社会人をしました。お金を貯めました。日本では、一度社会人になってしまうと、毎日が同じ日々で、ワーキングホリデーに行く夢を忘れかけていました。ある日、留学関係の仕事をしている方に出会い、その方に『いつ出発するかを決めて、先にビザを申請した方がいいよ』と言われました。オーストラリアの場合、ビザを取得してから、一年以内にオーストラリアに入国すればいいので、ビザを早めに取得しました。
インターネットでパースのことを調べたり、ガイドブックを探したりしましたが、パースに関する情報量は、シドニーなどに比べて少なく、実際にパースに着くまではパースのことはあまりわかりませんでした。

ワーホリ中に頑張ったこと。

ワーキングホリデー中にやりたいことは、来る前からいくつか決めていました。
ひとつは英語の勉強でした。パースに着いた次の日から四ヶ月語学学校で英語の勉強をしました。ブラジル人、台湾人、韓国人、ヨーロッパ人などいろんな国からのクラスメイトがいました。クラスメイトとビーチに行ったり、パーティーに行ったり、クラブに行ったりと、勉強以外でもいろいろな体験をしました。英語も伸びました。

他にはシェアハウスに住むことでした。日本では実家でしか暮らしたことがなく、大学時代にはホームステイをしましたが、ホームステイは少し自由がきかないことがあったので、シェアに憧れていました。パースに着いて、最初の一ヶ月はホームステイをしました。韓国とスイスからの留学生もいたので、楽しかったです。そのあとはずっとシェアハウスで暮らしました。シェアハウス初体験ということで、シェアハウスをどうやって見つけるかも知らなかったのですが、友人に聞いたりして、学校の掲示板で見つけたシェアハウスに住むことにしました。オーナーはオーストラリア人でアイルランド人と三人暮らしでしたが、私がその家に引っ越して一週間ぐらいで、オーナーは旅行へアイルランド人も引っ越して出ていったので、台湾人二人と香港人が引っ越してきました。

偶然にも、彼女たちは私と同じ語学学校だったので仲良くなりました。が、台湾人と香港人のハウスメイトがいつも中国語を話していたので、私の英語を伸ばすのには環境が良くないと考えて、新しいシェアハウスを探し始めました。語学学校の授業中に今住んでいるところについて話す機会があり、今のシェアハウスではみんな中国語をはなしていることをクラスで話したところ、ちょうどクラスの担当の先生がハウスメイトを探していたので、先生の家に引っ越すことにしました。語学学校の先生とその息子(当時1歳半ぐらい)とブラジル人の留学生と四人暮らしでした。ハウスメイトが英語の先生ということで、英語を学ぶ機会がたくさんあり、日本人がいないので常に英語しか話せない環境はとても自分のためになりました。また、小さい子供と暮らしたことがなかったので、ベビーシッターを体験できたり、いろいろためになりました。

ワーキングホリデー中には『絶対にセカンドビザをとって二年間滞在する』と決めていたので、ワーキングホリデーに来て七ヶ月ぐらいしてから、ファームに行くことにしました。ファームの仕事を探すのは簡単ではないのですが、シェアハウスに以前住んでいた香港人の女の子がカナーボン(パースより北に900km)でファームの仕事をしているとハウスメイトから聞き、その香港人に紹介してもらいました。昔から、ファームの仕事をしてみたいと思っていたのですが、実際にファームで生活することは簡単ではありませんでした。インターネットは使えないし、テレビも3チャンネルぐらいしか写らないし、買い物するには車で20分ぐらいかけて街に出ないといけないし、楽しめることがあまりないなぁと最初は感じていました。ファームの仕事も初めてだったので、作業をこなすのに時間がかかり、ボスに怒られたりしました。ブドウとバジルとチリのファームで働きました。トータルで四ヶ月ぐらいファームにいました。最初は『早くパースに戻りたい』と考えていましたが、時間が経つにつれて、友達がたくさんできたり、仕事にも慣れてファームの生活が好きになりました。ファームのアコモデーションに住んでいたので、多いときには15人ぐらい一緒に生活していました。イタリア人がいた時にみんなでピザを生地から作ったり、それぞれ自分の国の料理を作ってパーティーをしたりして楽しかったです。セカンドビザを申請するためのファームでの生活でしたが、今思うととても充実していました。セカンドビザを申請するための充分な仕事を終えて、オーストラリアデイの少し前にパースに戻りました。

ファームでの生活はお金を使うことがあまりなかったので、少しだけ貯まったお金で、旅行をしました。

パースからシドニーに飛んで、大学時代に出会った友人とシドニーで再会し、次にメルボルンへ行って、カナーボンで一緒に働いていた友人とも再会しました。ファームでの生活を終えて都会を旅行したので、シドニーとメルボルンが大都会に見えました。メルボルンからパースまではリフトを見つけて、5人でガソリン代をシェアしてパースに戻りました。車で旅するメルボルンからパースもなかなか良かったです。
無事にセカンドビザを取得してワーキングホリデー二年目の三月には母と伯母二人がパースに旅行に来ました。母姉妹は英語が話せないので、母たちが滞在中は私がツアーガイド役をしました。ピナクルズやスワンバレーやフリーマントルなどワーキングホリデー中に行かなかったところへも行ったりして楽しかったです。
ワーキングホリデー二年目は旅行した時以外は結局ずっとパースにいました。二年目は主に仕事をしていました。
一年目はケーキデコレーション、スナックバーアテンダントをしましたが、二年目は、カフェ、レストラン、寿司屋などでも働きました。
日本人がいない環境で働きたかったので、日本人がいないようなお店で仕事を探しました。基本的にはレジュメを直接カフェやレストランに配って仕事を探しました。ほとんどの場合が『今は雇っていない』とか『マネージャーにレジュメを渡しておきます』という返事で、『マネージャーにレジュメを渡しておきます』と言われた時には90%の確率で連絡はありませんでした。それでもめげずにレジュメをもっていろんなところへ行き、仕事を見つけることができました。カフェでは主にサンドイッチを作ったり、ウェイトレスをしました。レストランではドリンクを作ったり、ウェイトレスをしました。
カフェやレストランは一緒に働いているスタッフがみんないい人で、働きやすかったです。またお客さんも顔を覚えてくれたりしてうれしかったです。
ワーキングホリデー二年目にはツアーガイド養成講座を受講しました。
イタリアを旅行した時に添乗員の仕事にあこがれて、ツアーガイドと添乗員は違いますが、旅行関係の仕事に興味があったので、ツアーガイドの講座を受けました。
講義でガイドの仕事について学んだり、実際にツアーに同行して、お客さんに出会う機会もありました。ワイルドライフパークへ行った時には、実際にお客さんにコアラについて説明したりしました。旅行業界での仕事の経験はありませんでしたが、とても充実した時間を過ごしました。また、パースに長く住んでいたのに、知らなかったとを知ることができました。

ワーホリ後、どのような変化があったか?

ワーキングホリデーを終えた後は、パースで学生になることにしました。それは、ワーキングホリデー中に仕事を探したときに資格があった方が有利だと実感したからです。日本に帰ってやりたいことが見つからなかったことと、まだオーストラリアにいたいと思ったことも理由です。あとは、もう少し英語を伸ばしたいと思いました。

自分なりの今後の課題など

ワーキングホリデーのあと、現在Environmental Scienceをパースで学んでいます。
日本で環境社会学を学んだのですが、オーストラリアでも環境を学んでいます。社会学とサイエンスは違うのですが、日本で学んだことを活かしてサイエンスも学んでいます。
コースが終了したら、マイニング関係の仕事をしてみたいと考えています。