【体験談】ワーホリ環境は自分次第!都会生活と田舎生活の両方を楽しむ

河合晴海さん 2020年8月3日

日本で社会人を経験されてからワーホリを決断され、現在もクイーンズランド州でセカンドワーホリ中の晴海さん。

ご自身のことを人見知りな性格とおっしゃっていた晴海さんが、語学学校通学中に多国籍な友達をたくさん作るために日々心がけていたことや、コミュニケーションに対する考え方について語ってくださいました。

ワーホリに興味がある方、いつかはワーホリにチャレンジしてみたいと考えている方に是非お読みいただきたい体験談です!




自分のやりたいことに対して正直に生きていく


私は日本で大学卒業後、自動車学校のインストラクターとして数年働き、仕事を辞めてワーホリに来ました。ワーホリを決めたきっかけは、日本での仕事環境が心から好きだと言えなかったことや、自分自身が人に何かを教えるということの限界を感じるようになり、一度仕事を辞めて違う世界を見てみたいと思ったからです。

もともと大学生の頃から一度は海外生活してみたいと思っていたのですが、社会人になって働くうちに「仕事は続けていくもの」という考え方が知らず知らずのうち根付き、周りが結婚して家庭を持つようになると、それとなく自分の年齢を意識するようになったりして、時間だけが過ぎていきました。

そんな時、職場の先輩が海外を旅したいという理由で突然退職することになり、その時初めて自分にも仕事を辞めるという選択肢があることに気づきました。他にも、身の回りの色々なことが一段落した時期だったので、「自分のやりたいことに対して正直に生きていくのなら、今がそのタイミングなのかもしれない」と思い、思い切って仕事を辞めてワーホリすることを決断しました。




語学学校での環境は自分次第で変えられる


ワーホリをスタートし、最初にILSC(アイエルエスシー)シドニー校の一般英語コースに17週間通いました。ILSCは日本人を含むアジア人が比較的多い学校なので、アジア人同士でいる方が居心地が良いと感じる人に特にお勧めです。

一方で、ILSCにはラテン系アメリカ人の学生も多いので、私のように賑やかなラテンの雰囲気が好きなアジア人でも、自分の行動次第でラテン系出身の友達を作ることができると思います。

私は初級クラスからスタートしたので、最初から英語で意思疎通が図れたわけではなかったのですが、慣れないながらも知っている英単語を使ったり、ジェスチャーを用いたりして、とにかく自分の意見を人に伝える努力をしました。



その他にも、私が学校で心がけていたことは、目が合った学生には必ず微笑み返したり一言挨拶を交わす、勉強に熱心なクラスメイトや自分より英語ができる学生を見つけて自分からランチに誘ったり他愛のない会話を始めてみる、常に話しかけてもらえるような雰囲気を作るために、ケータイにはなるべく触らないようにするなど、小さなことですが、人に話しかけてもらいやすくする雰囲気を作るように心がけていました。




語学学校は怖がらずに英語を話すことができる場所


私のお気に入りの先生はイラン出身のElika先生でした。
Elika先生には、約2ヶ月間、午前中のクラスと午後の選択科目のクラスを担当してもらいました。授業の時間を気にせず最後まで学生の意見を聞いてくれたり、常にクラス全体に気を配り、全員に発言の機会をまんべんなく与えてくれる先生でした。こうした先生とのやりとりが、最終的に自分の自信に繋がり、英語力を伸ばすことができたと思っています。



それでも、英語を勉強していく中で、自分が伝えたいことが上手く伝わらず、相手の反応を気にするがゆえ、英語を話すことに臆病になってしまうこともあるかもしれません。

もともと人見知りな性格な私は、今でも時々人と話すことを怖がってしまうことがあります。そんな時は、語学学校で学んだ、ネガティブな感情は表には出さず「だって私にとって英語は第二言語だもの!」と思えるくらい開き直り、とにかく相手を選ばずに自分から立ち向かっていく姿勢を思い出すようにしています。

今は「怖がらずにとにかく誰とでも喋ってみる。当たって砕けろ!」と自分に言い聞かせながら毎日を過ごしています。




ファーム仕事を探して小さな田舎町マリーバへ


語学学校卒業後、セカンドワーホリビザ取得のためファーム仕事をするため、マリーバに引っ越しました。

マリーバはクイーンズランド州北部の小さな町で、スーパーマーケットとファストフードショップ、小さなレストランが点々とある以外、何もありません。ほとんどの店は午後4時か5時には閉まってしまい、シドニーのような都会のお洒落さや便利さも全くありません。

でも、この町の良いところは、とにかく人々が親切なことです。道に迷っても、それを察して「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくれるなど、都会では味わうことのできない人々の優しさで溢れています。

そして何と言っても家賃が安いです。
私は現在5人暮らしのシェアハウスの一人部屋に住んでいて、家賃は週120ドルです。ちなみにシドニーに住んでいた時は2人部屋で週215ドルでした。



オーストラリアは州によって雰囲気や環境が大きく違うので、特にファーム仕事を探すための他州への引っ越しには、たくさんの不安があると思いますが、シェアハウス探しのポイントは、「住み始めて自分に合わないと感じた家に当たってしまったら、思い切って引っ越す」ということです。私は今のシェアハウスに落ち着くまで、環境が良い一人部屋を求めてマリーバの中で2〜3回引っ越したのですが、自分に合わない環境の中でじっと我慢するよりも、思い切って引っ越しをする方がストレスは少ないと思います。一度限りのワーホリなので、楽しんだ者勝ちです。




セカンドビザ取得のため、ファーム仕事に挑戦


88日間の就労で、私はマンゴーのパッキング、ライムやアボカドのピッキングとパッキングを経験しました。いずれも時給制の仕事で、コントラクターと呼ばれるファームと契約している人から仕事を割り振られていました。

88日間の中でいろいろな経験をしましたが、特に印象に残っているのが、ファーム仕事初日のマンゴーピッキングの日です。事前にファームの人から「マンゴーサップ」というマンゴーを収穫する時にマンゴーの茎から出る液を絶対に触ってはいけないという注意を受けていたのですが、私はそのサップをジーンズの上から左太ももに浴びてしまったのです。



その日はサップを浴びた太ももが少しヒリヒリするだけだったのですが、数週間後にふとマンゴーを食べた時に、腕から首、顔にまで発疹が広がり、以前サップを浴びてしまった左太ももには痣のような火傷の痕のようなものができていました。

その後、急いでケアンズ市内の病院にかかり、飲み薬と塗り薬で良くなりましたが、ファーム仕事には危険も付きまとうということを頭の片隅におき、手袋はもちろん、必要であればマスクやゴーグル、キャップ、丈夫で防水効果のある服を着用する等、常に完全防備で臨むべきだと思います。さらに、海外旅行保険も万が一のときに備えて必ず入っておくべきです!

そんなこんなで最初はどうなることかと思いましたが、88日間のファームでの労働を終え、無事にセカンドワーホリビザを取得することができました。




海外生活を始めたら、家族との距離がもっと近くなった


日本を出て海外に行くと決めるのには多少なりとも勇気がいることだと思います。
家族の反対や、海外生活への不安が妨げになったりして、躊躇してしまう人も多いのではないでしょうか。そして、実際に海外に来てからも苦労は多いと思います。それでも、ワーホリを経験したからこそ気づくことができたこともあります。その一つが家族の大切さです。

私の親は、私が決めたことに対して応援してくれるタイプなので、ワーホリを決断したことに対して特に反対はしていませんでしたが、突然海外へ行くと言い始めた私をとても心配していたと思います。

オーストラリアに来てからは、外国人の家族や恋人への愛情表現の豊かさに驚いたり、他国の友達に家族愛を見せられる機会も多くあり、自分ももっと家族を大事にしようと思えるようになりました。それからは、毎日家族と連絡を取り合うようになり、日本にいたときよりも家族との距離が近くなったと感じます。日本に帰ってからもこの気持ちを忘れずにいたいと思います。


スタッフより

現在もマリーバにてセカンドワーホリを楽しまれている晴海さんですが、ワーホリ当初は家探しやお仕事探しで苦労されることも多かったそうです。インタビューの時に「ネガティブになることもあるけれど、その気持ちをいつまでも引きずらないように心がけています。」と話す晴海さんからは、この1年で培われた強さを感じました。

最近はバイヤーという仕事に興味を持たれ、自然豊かなクイーンズランド州で美しいものに触れながら、ご自身のアンテナを磨いていらっしゃるそうです!

引き続き充実したワーホリ生活になるよう、シドニーから応援しています!