【体験談】30代男、多様な生き方を実践する
奥崎 敏匡さん 2014年6月6日
オーストラリアに来る方のバックグラウンドは様々です。
そして、自分では予想していなかった方向へ道がつながっていくこともあります。
高校生の時、初めてオーストラリアに来てから16年、日本の大学を卒業し、日本のサラリーマンも経験。紆余曲折を経て、現在はパースに在住している奥崎敏匡さんに、これまでの人生を振り返って頂きました。
奥崎家では英語を話せないと困る
16歳の時に、神戸日豪協会*の高校の1年の交換留学プログラムでパースにやってきました。元々私の家は、長年日本でホストファミリーをしていて、常に日本語を話せない人が家庭にいて、外国人にはそれほど抵抗はありませんでした。そんな環境でしたので、奥崎家では英語を話せないと困るということもあり、また父親も「行ってこい」と背中を押してくれたので渡豪することにしました。*神戸日豪協会:オーストラリアと日本の相互交流・文化理解を目的として設立されたNPO法人。日豪の学生交流や日本語補助教員の派遣等を行っている。
ワーホリで得られた人とのつながり
次にオーストラリアに来たのは大学生の時。休学をしてワーキングホリデービザでメルボルンへ渡りました。当時は大学生でワーホリビザを使うのは珍しかったのですが、迷いはなかったです。一種なんといいますか、バツをもらう感覚でした。高校の時に1年間留学をしていたので将来は外資系や英語を使って何か仕事をできればと考えていましたが、大学に入ると自分よりも英語が出来る人はたくさんいました。だからメルボルンで英語のブラッシュアップをと考えていました。そして、これでダメなら一区切りつけるつもりでした。
メルボルンでは、メルボルン大学に知人がいて、キャンパスに遊びに行ったりしていました。そのうち、ラッキーなことにメルボルン大学内のお寿司屋とコーヒーを出しているカフェでアルバイトができました。結果的には、遊んでバイトして、お金がなくなってしまったら、親に生活費を送ってもらって・・・そんな感じのワーホリ生活でした。
でも、ワーホリで得られたものは、「人とのつながり」でした。メルボルン大学の知人も元々、高校の時にホームステイしたホストブラザーのつながりで「メルボルンへ行くならこいつに連絡取れよ!」と紹介してくれた人でした。そこからのつながりで大学のキャンパスをうろつくようになり、意識したわけではありませんが日本人よりもオーストラリア人の友達が増え、メルボルンで出会った友達は今でも結婚式に呼んでくれるほどの強いつながりを持っています。

会社を辞めて3度目の渡豪
ワーホリからの帰国後は、皆と同じように就職活動をして、サービス業の会社に就職しました。英語は時々使うことはありましたが、基本日本語での仕事でした。在職中は常に転職することを考えていたことを覚えています。ある日、上司からニュージャージーの支店にいかないかと声がかかりました。海外で仕事をしてみたい!と思っていたので、迷わず手を挙げました。でも、結果的にアメリカのビザが下りない、というまさかの事態となり、6年勤めた会社を辞める決心がつきました。
次に何をしようと考えた時に、神戸日豪協会がオーストラリアへ派遣する日本語補助教員の募集に目が留まりました。このプログラムは人生の転機となるかなと思い、3度目の渡豪に踏み切りました。
この時は、1年経ったら日本に戻り、再就職しようと考えていました。でもパースで充実した1年を過ごすことができ、日本に帰国したくなかった私は、TAFE(州立の専門学校)へ入学しました。
TAFEでは、Certificate IV in MarketingとDiploma of Marketingを勉強したのですが、元々コミュニケーションで鍛えた英語なので、書くこと、読むことに四苦八苦。レポートは大変でしたが、マーケティングプランを作ってカフェに提案したり、ボランティアイベントを企画して街中のお店から協賛品をいただいたりと授業の中で実際的なアクションを取ることができたのでとても勉強になりました。
今はTAFEで学んだことを活かしてフリーで仕事をしています。

「楽しいからやる」「遅すぎることはない」
現在は家庭教師、日本語補助教員、翻訳等、色々なことをやっています。人とのつながりの中で仕事をし、更に別の仕事をつくっているという状態です。仕事ではありませんが、日本語補助教員を集めて行う勉強会も中心となってやらせてもらっています。自分の行動原理は何だろうと考えた時に、「楽しいからやる」というものがあります。例えば、現在やっている日本語教師の勉強会は自分にとっては金銭的利益はありません。だけど、自分が楽しいからやっています。
自分自身が、これまで人とのつながりの中で助けられ、ここまで来ることができたので、自分の行動が他の人の役に立つことができるのならとても嬉しく感じます。
こういった感覚は、親から学びました。最初に言いましたように、私の家はずっと外国人受け入れのホストファミリーをしていています。私の両親は完全なボランティアでしているので金銭的なメリットはないし、なぜ言葉も通じない外国人を受け入れるのか、それは楽しいからだと思います。外国の人たちと触れ合い、その国の言葉や習慣を学び、それに驚き、楽しむ。そういったことを面倒と思わず楽しむことが大事だと両親に学んだと思います。
そして、もう一つ、30歳という年齢的なこともあり、この年齢でまた学校に行くなんて遅すぎると思っていました。そんな時にオーストラリアの友人から「何言ってんの?何かを始めるのに遅過ぎるってことはない」と言われました。オーストラリアでは、何かを始めるときに「遅い」という感覚があまりありません。だから18歳くらいの生徒に混じって、勉強しよう!と踏ん切りがつきました。あの時の友人の一言がなければ今の自分はなかったと思います。
これからも楽しさを求めて、そしてチャレンジするのに遅すぎることはない、ということを機軸に、オーストラリアでの生活をエンジョイさせていきます。

スタッフより
人とのつながりが影響して、予定していなかった方向へ人生が進んでいった奥崎さん。ご自身が人に助けられているので、その人はもちろん、恩返しの意味でも、他の人に何かができればと考えいる奥崎さんだからこそ、さらにサポートをしてくれる人が回りに集まるのだと思います。
短期、長期留学に関係なく、留学において人とのつながりは、すごく大きな財産になります。これから留学を考える方は、奥崎さんの体験をヒントに、色々な人とコミュニケーションを取って、人とのつながりをつくり、充実した留学生活にして下さい!
そして、奥崎さんが通われた、TAFEのCertificate IV in Marketing及びDiploma of Marektingの詳細はこちらになります。
Certificate IV in Marketing | Diploma of Marketing | |
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期間 | 6ヵ月 | 6ヵ月 |
授業料 | 5,450ドル(約52万円) | 5,450ドル(約52万円) |
必要英語力 | IELTS5.5 | IELTS5.5 |
英語力を満たせていない場合は、付属や提携の語学学校からIELTS無しでも入れる進学パスウェイをご利用頂くこともできます。
また、弊社でも日本語教師ボランティアを募集しておりますので、ご興味のある方は、お気軽にお問合せ下さい。
*TAFEの情報は2014年6月6日現在のものに基づいており、今後予告なく変更されることもございますので、ご留意下さい。
*ご参考の日本円は、1ドル=95円換算としております。