【体験談】帰国後は日本・ベトナムで活躍中!〜20代女子のワーホリ生活〜

加藤博子さん 2016年9月22日


加藤博子さん(Ms Hiroko KATO)

大好きなお仕事を辞め、ワーキングホリデーで渡航をされた博子さん。持ち前の行動力と物怖じしないご性格で多くのお友達を作り、様々なご経験をされ、オーストラリアに2年間ご滞在されました。

そんな博子さんに、2年間のワーキングホリデーでの生活を振り返って頂きました。


ワーホリをしようと思ったきっかけ

元々高校生の頃から海外にはとても興味がありました。海外に住んでみたい、海外で仕事がしたい、英語が話せるようになりたい、と純粋に思っていました。

ですが、それと同時にグランドスタッフにもなりたいという夢もあり、まずはそちらの夢を目指しました。運良く第一志望の航空会社のグランドスタッフになることが出来、上司や先輩、同期に恵まれ、毎日充実した日々を送っていました。

私の働いていた羽田空港は飛行機の離発着数がとても多く、天候などで欠航や遅延があり、その際に外国籍のお客様に自分の言葉でその場の状況を説明出来ないことが多く、とても悔しい思いをしました。

そのような場面に出くわす度に、「もう一度しっかり英語を勉強したい!」「英語で世界中の人とコミュニケーションをとりたい!!」と思うようになり、”今”しかできないワーホリをしてみようと決意しました。

戻る場所があるという選択肢は自分に甘えが出てしまう気がしたので、辞めるという選択を選びました。大好きな仕事、職場だったので辞める決断にはとても勇気がいることでしたが、自分の決断に自信を持って進むことを決心しました。


インパクトメルボルン校とブリスベン校で学びました


私はインパクトのメルボルン校で一般英語コースを8週間受講し、ワーホリの最後にもう一度英語をブラッシュアップしようと思い立ち、ブリスベン校でケンブリッジ英語検定FCE対策コースを受講しました。

メルボルン校は生徒数が圧倒的に多く、入れ替わりもクラスの変化もあったので常に明るく、BBQやFarewell Party(お別れ会)等のイベントが多く楽しかったです。



ブリスベン校は日本人が想像以上にいましたが、私が入学した頃はまだ比較的生徒が少なかったのでどこのクラスの人とも顔見知りでとってもアットホームな学校でした。


両校共、先生方はとても熱心ですし、English Only Policy(母国語禁止ポリシ−)が校内で徹底されているので、生徒も意識の高い生徒が多かったです。

特にブリスベンで受講したFCEコースはClosedクラスという入学日が設定され、コース期間中クラスメイトが変わらないコースだったので、クラスメイトは家族のように仲が良く、今でもよく連絡を取り合います。


セカンドビザ取得のためにファーム生活を経験


ファームでのお仕事は、メルボルンで出会った方がサポートされていたプロジェクトのスーパーバイザー(管理者)としてファームに行きました。

何故スーパーバイザーとして働くことが出来たかと言うと、私は渡豪して1ヶ月後に運良くローカルレストランでのお仕事をゲットすることができました。

そのレストランに某企業の社長さんがよくいらしており、日本人スタッフも私しかいなかったのでよくお話をするようになり、元グランドスタッフというバックグラウンドと性格をかって頂き、ぜひプロジェクトの手伝いをして欲しいと言われたのがきっかけです。

ファーム生活では大人数でシェアハウスのような生活をし、農作業の後にはみんなでご飯を作ったり、BBQをしたり、とても楽しい毎日でした。


どんな人に出会うのか、出会えるのか、全てあなたの情報収集能力次第です


スーパーバイザーをしていて感じたことは、ワーホリも語学留学も”情報収集力”がとても大切だということです。

私が働いていたファームには、私と同じようにセカンドビザを取りに来る日本人のワーホリの方もたくさんらっしゃいました。

ですが、あまりセカンドのルールについてしっかりと調べていなかったり、セカンドの申請も”誰かに聞けばいいや、誰かが手伝ってくれる”という安易な考えの人がとても多くて驚きました。

私が知り合った知人は、ビザの申請中には特別なことがない限り(オーストラリア国内で申請した場合には)ビザが下りるまで国外に行くことが出来ないというルールを知らずに国外へ出てしまったり、他にも国外で申請して追加書類の提出を求められていたけれど、メールを熟読していなく提出書類に不足と不備があったためにビザが下りずに、せっかく働いた88日と申請費の440ドルを無駄にしてしまうなどのことがありました。

自分が本当にセカンドビザを取りたいのであれば、しっかりと情報を手に入れることやエージェントに依頼をしてでもビザの申請や書類提出はしっかりと行うべきだと感じました。必要な情報があるかないかでこの先の人生は少なからず変わってきます。

また、某エージェントに多額の手数料(1000ドル以上)を支払ってセカンドビザを取りにとあるファームに行ったけれど、生活環境が悪すぎることや、言われていた労働日数よりも圧倒的に働ける時間が少ないため、セカンドビザの日数も取れなければ、お金も稼げないという状況になり、規定の年齢を迎えてしまうことに慌て、私が参加していたプロジェクトに連絡をしてきたという方もいらっしゃいました。

どんな人に出会うのか、出会えるのか、全て自分の情報収集能力にかかっています。

また、自分がファームで働く目的を明確にして情報を集めてないと、挫折してしまいます。自分が限られた期間でわざわざファームジョブをするのは、お金の為なのか、セカンドビザの為なのか、人生経験の為なのか。

これからオーストラリアでのファームジョブを考えている人は、しっかり情報を集め、目的を明確に持って行って欲しいです。


オーストラリアで苦労したこと、大変だったこと


苦労したことはまず、オーストラリアに到着したその日に、依頼をしていた送迎の会社が来なかったこと。(笑)気温3度の中、外で数時間待っていたあの時の寒さは今でも忘れられません。(笑)

他にも仕事の納期を守らないのに、定時で退社するオージーのメンタルの強さには見習うものもありました。(笑)

日本の常識、日本人の中の”当たり前”という感覚は海外では通用しないことを痛感しましたね。


オーストラリアで成長したと感じること


元々物怖じしない性格でしたが、英語でたくさんの人とコミュニケーションをとることができるようになったことで、もっと自分に自信がつきました。

自分の意思を伝えること、相手の考えを知ること、それがこんなにも楽しいことだと知ることが出来、今ではオーストラリア、アメリカ、ニュージーランド、フランス、スペイン、ブラジル、コロンビア、台湾、韓国、たくさんの友達が世界中にできました。

2年前の自分からは考えられないことです。


現在は日本〜ベトナムを繋ぐ仕事で活躍中!


現在は日本とベトナムの会社に所属しながら、ベトナムへ日本の商品を輸出する仕事に携わっています。商品の仕入れから輸出入に関わる手続き、ベトナム現地でのマーケティング、社員教育、多くのことに携わらせて頂いています。

ベトナムでの役員会議は英語が使われるので、オーストラリアで学んだことをそのまま生かせることがとても楽しいです。




また今年に入り、日本の大手航空会社も日本−ベトナム間の定期便を大幅に増やしていることから分かるように、ベトナム経済の著しい発展と同国への関心がとても高くなっています。

日本人にも人気のあるベトナムの発展に大きく貢献すると同時に、今後は日本の素晴らしい文化や技術を世界に伝える仕事に携わっていきたいと思います。

その中で他文化を受け入れ共存していくということ、次の世代にしっかりとバトンタッチをしていけるよう心がけていきたいと思います。

スタッフより

2年間のワーホリ生活後、日本・ベトナムの架け橋となれるよう日々奮闘中の博子さん。
オーストラリアで身につけた英語力と行動力でさらなるご活躍を期待しております!